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福岡高等裁判所 昭和55年(う)48号 判決

被告人 豊嶋泰一

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官が差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。

所論は、要するに、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和五四年一月三日午後五時二〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、熊本県八代市郡築六番町五〇番地先の交通整理の行われていない交差点を沖町方面から郡築三番町方面に向け左折するに際し、当時前記交差点手前右角には工事中の立看板が設置され、右方の見とおしが極めて困難であつたから、交差点手前で一時停止し、同所に設けられている大型カーブミラー(直径約一・二メートル)等で右方からの直進車両の有無及び交通の安全を十分に確認してから左折進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、一時停止はしたが、前方交差道路反対側にいた数人の児童等を見ながら右方からの直進車両の有無及びその安全を確認することなく、漫然時速約一〇キロメートルで右交差点内に発進して左折しようとした過失により、折から郡築八番町方面から進行してきた萩野久俊(当一六年)運転の自動二輪車の左側部に自車右前部を衝突させ、更にその後続車両である宮田宗治(当一六年)運転の自動二輪車に自車右側前部を衝突転倒させ、よつて萩野久俊に加療約三日間を要する左膝関節捻挫の傷害を、同人運転車両に同乗中の中野剛(当一六年)に加療約一六日間を要する左膝挫創等の傷害を、右宮田宗治に加療約一〇八日間を要する頭部打撲症等の傷害を、同人運転車両に同乗中の吉田虎生(当一六年)に加療約九日間を要する左肘関節捻挫等の傷害を各負わせたものである。」との公訴事実に対し、原判決は、被告人が、公訴事実のとおりの日時場所において普通乗用自動車(以下、「被告人車」という。)を運転し、公訴事実のとおりの状況下で、大型カーブミラー等で右方からの直進車両の有無及び交通の安全を十分確認しないまま、徐徐に加速して左折進行したことは認められるものの、被告人が本件交差点の手前で一たん停止した後、クラツチを踏んでギヤーをローに入れ、アクセルを踏んでゆつくり発進するに至るまで約一・二秒を要し、かつ被告人が発進した後本件衝突地点に至るまで約一・八秒を要するとすれば、被告人が発進準備をし始めてから本件衝突地点に至るまで約三秒を要することとなり、他方、被害車両である萩野久俊(以下、「萩野」という。)運転の自動二輪車及び宮田宗治(以下、「宮田」という。)運転の自動二輪車がいずれも時速約九〇キロメートルで進行していたとすれば、同人らは被告人が右の発進準備をしたとき被告人の停車位置から約七〇メートル離れていたことになるが、右カーブミラーに映る距離範囲は約六二・七メートルであるから、当時右の被害各車両はいずれも右カーブミラーには映つていなかつたこととなるところ、そもそも被害各車両が進行した道路は熊本県公安委員会が道路標識を設置して車両の最高速度を三〇キロメートル毎時と制限していたのであり、萩野及び宮田がいずれも当時四〇ないし五〇キロメートル毎時の速度で進行しておれば、被告人車が左折するため交差点内に進入してきたのを約二六・三ないし三五・五メートル前方に認めたとき、いずれもハンドルを右に切つて本件衝突事故の発生を回避することができたのであるから、本件事故の直接の原因は萩野と宮田の速度の出し過ぎにあり、公訴事実中の被告人の過失は、その間接的な原因にすぎないのであつて、本件結果との間に処罰するに相当な法的因果関係を認めることはできず、本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するとして被告人に対し無罪の言渡しをしたが、これは、証拠の取捨選択及びその価値判断を誤り、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄されるべきである、というのである。

そこで、検討するに、原審並びに当審において取り調べた各証拠によれば、

1  熊本県八代市郡築六番町五〇番地先の交差点は、本件事故発生当時、同交差点から南方に通ずる、歩車道の区別のある、車道幅員約五・三メートル、その東側の歩道幅員約一メートルの市道及び同交差点から北方に通ずる、歩車道の区別のない、幅員六メートル余の市道と、東西に通ずる、歩車道の区別のない、本件交差点以東の幅員約八・二五メートルの道路とが交わる交差点であつて、交通整理は行なわれておらず、その北東角付近には工事中の立看板が設置され、また、その付近から北方の右市道東側に人家が立ち並んでいるため、東方から本件交差点に進入する車両からの右(北)方の交差市道上の見とおし、及び右市道を南進してくる車両からの左(東)方の交差道路上の見とおしがいずれも著しく妨げられていた。右交差点南東角は、いわゆる隅切りがなされている。本件事故発生前には、本件交差点南東角付近の、幅員約八・二五メートルの道路上には、右道路を西進して本件交差点に進入する車両に対して一時停止の道路標識が設置されていたが、本件事故発生当時には、工事中のためこれは取りはずされて道路端に立てかけられていた。本件交差点西南角付近には直径約一・二メートルの大型カーブミラーが設置されていて、右の幅員約八・二五メートルの道路から右交差点に進入する車両のためには右(北)方の交差市道上の状況を映し出し、また同市道を南進して右交差点に進入する車両のためには左(東)方の交差道路上の状況を映し出していた。

2  被告人車の前端を本件交差点東側端線の南側上に停車させた場合、同車前部右端の約二・二メートル後(東)方の同車運転手席から右カーブミラーによつて右(北)方の交差市道上の状況を見れば、同車前部右端から約六二・七メートル北方まで見とおすことができ、また、右交差点の東側端線より約一・三メートル西方の地点からは、肉眼で約一〇〇メートル北方まで右状況を見とおすことができた。

3  本件事故発生当時、右の南北に通ずる市道は、車両の交通がひんぱんな、アスフアルト舗装道路であり、かつ、熊本県公安委員会によつて道路標識を設置されたうえ車両の最高速度を三〇キロメートル毎時に制限されていたが、右の幅員約八・二五メートルの道路は、未舗装(工事中)の、いわゆる脇道で、車両の交通は少なかつた。

4  被告人は、公訴事実のとおりの日時場所において普通乗用自動車を運転して、前記の幅員約八・二五メートルの道路南側の中央部分を西進し、同車前端が本件交差点東側端線にかかる位置で停車し、肉眼で右(北)方の交差市道と左(南)方の交差市道を見たところ、いずれも車影が認められなかつたので、折から同交差点北西角付近に佇立していた四、五名の小学生を見ながら、前記のカーブミラーによつて右(北)方の交差市道の交通状況を確認することなく発車し、時速約五ないし一〇キロメートルで徐行しながら左折を開始し、その後は肉眼によつても右(北)方の交差市道の交通状況を注視することなく左折を継続し、右交差点の中心の南側付近を被告人車右側前部が通過するころ、折から右(北)方の交差市道東側を南進してきた萩野運転の自動二輪車に被告人が気づかないうちに同車左側部と被告人車右側前部とが衝突し、その直後被告人が右自動二輪車に引き続き右(北)方の交差市道東側を南進してきた宮田運転の自動二輪車を目前に発見した瞬間、同車と被告人車右側前部とが衝突した。

5  一方、萩野は、後部座席に中野剛(以下、「中野」という。)を同乗させて自動二輪車を運転し、前記市道東側の道路中央線寄りを時速約八〇キロメートルで南進し、宮田は、後部座席に吉田虎生(以下「吉田」という。)を同乗させて自動二輪車を運転し、萩野の運転する自動二輪車の後(北)方約九メートルの、右市道東側の道路東側端寄りを右同様の速度で南進し、それぞれ本件交差点に接近して行つたところ、萩野は前(南)方約二六メートルの、また、宮田は前(南)方約三五メートルの、本件交差点東側端から同交差点に進入し始めた被告人車をそれぞれ認め、萩野はとつさにハンドルを右に切ろうとし、また、宮田はとつさにハンドルをわずかに右に切つたが、いずれも及ばず、それぞれ前記の衝突をするに至つた。そのため、宮田及吉田は宮田運転の自動二輪車もろとも路上に転倒し、萩野、中野、宮田、吉田はそれぞれ公訴事実のとおりの傷害を受けた。以上の事実を認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。

次に、右に認定した事実関係のもとで、本件事故に対する被告人の過失の有無について検討する。被告人は、本件交差点の直前で被告人車を一たん停車させたうえ、発進して同車前部を交差点に進入させたとき、前記のカーブミラーを注視していたとすれば、同所の北方約二六ないし三五メートルの地点付近の前記市道東側を南進してくる、萩野運転の自動二輪車と宮田運転の自動二輪車とをそれぞれ発見することができたはずであり、その後道路左側端に沿つて徐徐に左折し、右(北)方の交差市道に対する視野を徐徐に拡大させながら肉眼でも右両車の進行状況を確認していたとすれば、右交差点内にわずかに自車を進入させただけで早期に右両車の異常な進行状況に気づくとともに、このような状況下において左折を継続すれば交差点の中心付近において右両車と衝突事故を惹き起こすおそれの高いことを予見することができたはずであるから、臨機急停車するか又は避譲するなどの措置を講じて右衝突事故の発生を未然に防止することが可能であつたにもかかわらず、被告人は、前示のように、カーブミラーによつて右(北)方の交差市道の交通状況を確認することなく右交差点に進入して左折を開始し、かつ、その後肉眼によつても右の交差市道の交通状況を注視することなく左折を継続した過失により、萩野運転の自動二輪車に衝突するまでこれに気づかず、また、宮田運転の自動二輪車を発見するのが遅れ、目前でこれを発見したが右の措置を講ずるいとまもなく、本件事故を惹き起こすに至つたものと認めるのが相当であるから、その業務上の過失責任を免れることはできないものといわなければならない。すなわち、普通乗用自動車を運転し、カーブミラーの設置された交差点で左折する被告人としては、交差点に進入するまではもとより、これに進入してからも左折を完了するまでは、カーブミラー及び肉眼によつて右(北)方の交差道路の交通状況を注視し、同道路東側において交差点に進入しようとしている車両を早期に発見し、同車両と衝突するおそれのあるときはこれを避けるため適宜の措置を講ずべき業務上の注意義務があるのであるから、原判示のように、被告人が交差点の直前で一たん停車した後発進準備をし始めた段階における注視義務だけを取り上げ、右時点においては、肉眼で注視した場合はもとより、カーブミラーによつて注視したとしても、右(北)方の交差道路を南進していた被害各車両を発見することはできなかつたとして、その後の注視義務を全く不問に付し、被告人の行為と本件結果との間の因果関係を否定するのは、相当ではない。

そうすると、本件公訴事実につき犯罪の証明がないことに帰するとして被告人に対し無罪の言渡しをした原判決は、証拠の取捨選択及び価値判断を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

それで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、更に次のように判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和五四年一月三日午後五時二〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、熊本県八代市郡築六番町五〇番地先の交通整理の行なわれていない交差点を東方(沖町方面)から南方(郡築三番町方面)に向け左折しようとしたが、右交差点北東角には工事中の立看板が設置され、また、その北方には人家が立ち並んでいたため、北方(右方)の交差道路に対する見とおしが著しく困難であつたから、右交差点南西角付近に設置されていた大型カーブミラー(直径一・二メートル)によつて右交差道路を南進して同交差点に進入しようとしている車両の有無及び進行状況を確認したうえ、道路左側端に沿い徐徐に左折して右交差道路に対する視野を徐徐に拡大させながら肉眼でも右車両の進行状況を確認し、右交差道路東側を南進して同交差点に進入しようとしている車両を早期に発見してこれを避け、もつて同交差点における同車両との衝突事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同交差点の直前で一時停車した後発進する際、右交差道路を肉眼で一べつし、せいぜい約一〇メートル以内の視野において同道路を南進する車両のないことを確認しただけで、前記カーブミラーを注視することなく、同交差点北西角付近に佇立していた四、五名の児童を見ながら同交差点に進入し、その後は右カーブミラーによつても、また肉眼によつても右交差道路を南進して同交差点に進入しようとしている車両の交通状況を注視することなく、同交差点の中心の内側付近を左折した過失により、同交差点の中心の南側付近を自車右側前部が通過するころ、既に被告人が同交差点に進入したころにはその約二六メートル北方の右交差道路東側の道路中央線寄りを時速約八〇キロメートルで南進していた萩野久俊(当時一六歳)運転の自動二輪車に気づかないまま、同車左側部に自車右側前部を衝突させ、その直後、既に被告人が同交差点に進入したころにはその約三五メートル北方の右交差道路東側の道路東側端線寄りを時速約八〇キロメートルで南進していた宮田宗治(当時一六歳)運転の自動二輪車を目前に発見したが何らの措置をとることもできず、同車に自車右側前部を衝突させて同人及び同車後部座席に同乗していた吉田虎生(当時一六歳)を同車もろとも路上に転倒させ、よつて萩野久俊に対し加療約三日間を要した左膝関節捻挫の傷害を、同人の運転していた右車両の後部座席に同乗していた中野剛(当時一六歳)に対し加療約一六日間を要した左膝挫創等の傷害を、宮田宗治に対し加療約一〇八日間を要した頭部打撲症等の傷害を、吉田虎生に対し加療約九日間を要した左肘関節捻挫の傷害をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は一個の行為で四個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い宮田宗治に対する罪の刑で処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金三万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書を適用し、これを被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原宗朝 池田憲義 寺坂博)

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